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ポケモンSVはなぜ名作になったか? - 2 -

ちょっと待って!?じゃあ他の作品は駄作だったってこと!?

近頃1bit思考の人が増えてきた気がする。しかし今回は思慮深いと言うべきかもしれない。
つまり、その通りなのだ。
これについてソースを提示することも考えたのだけど、結局は個人の嗜好に帰結する上に、せいぜいまとめサイトのリンクを貼る程度になってしまうので
であれば潔く個人の主観であると言い切ってしまった方がお互いすっきりすると思うので省く。
「みんながそう言ってるから駄作!」などと思っているわけではないのだから、この方がより正確であると言える。

特に初めての3D作品となったXY以降の作品のシナリオには疑問符が付く。
XY発売が2013年、SV発売が2022年ということは「ポケモンのシナリオはつまらない」という評価は9年間続いたわけだ。
ORASの追加シナリオについては否定的な意見が多かったとも聞くが、これは個人的には悪くなかった。この理由は後述。
レジェアルについては未プレイかつ今回の趣旨と大幅にずれるため省く。

これらXY・SM・剣盾の完全新作について共通するのが尻切れトンボ・竜頭蛇尾の感だ。
導入での盛り上がりに対して最終盤での「えっ、これで終わり?」が毎度の展開となり「本当に尺を考えて作ったのか?」と疑わずにいられなかった。
天下の株ポケがそんな雑な仕事をするわけがないのだが、その感想を抱いたユーザーは実際にいた。
この食い違いを分析してみると、ポケモンというコンテンツそのものが抱えるシナリオ上の制約が見えてきた。

ポケモンにおけるシナリオの役割とは?

そもそもポケモンのゲームジャンルがRPGであるから、冒険の要素は外せない。
あてどなくさ迷うわけにもいかないからシナリオをつけることで、ポケモンと過ごす世界を演出するのだ。
ではもう一つの側面、対戦ゲームとしてのポケモンにおいてシナリオは不要なのか?
否である。
ユーザーはシナリオの中で対戦のセオリーを学んでいく。
HPがなくなったら戦えない、PPがなくなったら技が出せない、レベルが上がると強くなる、進化すると強くなる、タイプには相性がある、相性が悪ければ入れ替える、etc.
そんな当たり前を、それでも毎回行うのはポケモン世界的なコンテンツであるからだ。
大人も子供も歴戦のポケモントレーナーもゲームデビューのお子様も、同じゲームを遊ぶのだ。

「必ずしもバトルだけがポケモンじゃない」というメッセージはポケモン側からも発信されている。
第3世代で実装されたコンテストに始まり、第6世代のパルレなど「ポケモンのふれあい」を前面に押し出したゲーム内コンテンツは今では標準となっているし
アニメでも女の子向けとしてハルカ以来コンテストでの活動を主とするキャラクターが登場し、こちらも第6世代の友人ティエルノ・トロバはバトルを目標としていない。
アニメでのライバル・シゲルが研究者の道へ進むのは第5世代のベル、第8世代のホップとも通じる。
誰もが同じゲームを遊ぶが、その楽しみ方はそれぞれ自由であることが作中で許されている。
しかし、その上でこのゲームがポケモンである以上、捕獲の過程は省くことができず、捕獲の手段やその権利はバトルで勝ち取るしかない
即ち、全てのトレーナーは対戦の基礎を身に着ける必要がある
そのチュートリアルとしてのシナリオポケモンには絶対に欠かせない要素なのだ。

チュートリアルに求められるもの

ポケモンバトルっていうのは実は非常に高度で~」と語るオタクは多い。
「小学生でも遊べるゲームで高度もへったくれもないだろう」と一蹴する正論サワムラーも多い。ファイアローさんこっちです。
だが実際問題、初めてポケモンを遊ぶ人にとって、タイプ相性というものは簡単だろうか?
タイプの数が18、その相性関係は特に法則性もないため18^2即ち324通りを丸暗記し、更に最低でも400種の各ポケモンのタイプを把握し、それらが持つ特性の効果を考慮し、ようやく効果的な技を選択できるのである。
簡単だろうか・・・?
確かに、最近の作品では技選択画面で相性の良し悪しが表示されるようになった。「じゃあそんな丸暗記なんて必要ないじゃん」ではない。
丸暗記が必要になってハードルが上がっているからその機能で緩和したのだ。
我々熟練のトレーナーが考える以上にこの問題は重く、開発側もそれを把握している。
その相性表示もそうだが、この解決こそがチュートリアルで最も大きく取り上げられている要素、ポケモンジムの役割である。

ポケモンジムという制約

ジムの攻略はタイプの攻略

初代からの流れを汲めば醍醐味と言ってもいいこの要素は、その初代ではともかく、現在はタイプ相性のコーチング施設として運用されている。
シナリオ的にはこのジムを攻略することでポケモンマスターを目指すことになるが、各ジムには専門のタイプがあり、その弱点を突けば有利に攻略できる。
この攻略がそのままタイプ相性の学習となっており、ジムトレーナーの使うポケモンを見ることでそのタイプのポケモンも覚えられる。
そしてここに1人ずつ存在するのがジムリーダーという名前持ちのキャラクター。
強さと個性を併せ持つこの人物たちは作品の世界観を彩り、旅の思い出をユーザーに提供してくれる。
これが毎回8人、同様の役割を持つ四天王を加えれば+4人は登場が保障されているのだから「ポケモンはキャラ(トレーナー)ゲー」などと揶揄されるのも頷ける。

さてこの魅力的なジムリーダーたち、ただの障害物として設置するには勿体ない。
2D作品ではそれぞれの街でのイベントを設けたり(2genミカン, 4genデンジ等)、ストーリーに絡めたり(3genミクリ, 5gen多数)することで冒険パートとの一体感を持たせることが多かった。
そうでなくとも街の人々からジムに関する話を聞くことができたり、ジムリーダーに勝つことで秘伝技が使えるようになったりと「ジムをクリアする=冒険を進める」という図式が定番化していた。
この本来関係ない冒険とバトル訓練を相互に掛け合わせる手法は非常に合理的であり、第5世代では完成形と言っていい重厚なシナリオを構成するに至った。
トレーナー人気の絶頂がここにあったのもそれに起因すると思う。

ここで3D作品へ移り変わり、状況が少し変わってくる。
この時点で700近いポケモン3DSという携帯機に落とし込む必要性が生まれ、ポケモンというコンテンツを1本のゲームに収める限界が来たのだ。*1
第7世代までではまだ全てのポケモンを収録していたが、そのシワ寄せがシナリオに来たことがポケモンシナリオの氷河期を作ったのだと、僕は考えている。
実際に第6世代XYではこれまでと打って変わってジムリーダーのシナリオへの関与がなくなっている。
唯一と言っていいのはメガシンカチュートリアルを兼ねるコルニだが、これはむしろシワ寄せによる兼役と見るべきだろう。メガシンカにもコルニにも、ジムリーダーと重ねる合理性はない。
このバトルにおける特殊要素が生まれたのもこの世代からで、このチュートリアルもシナリオで行う必要が出たため後続のSM・剣盾ではそれを活かしたシナリオが展開されることになる。

XY - これはまだ完全版じゃないから・・・(日記はここで終わっている)

誰???

この作品では明確に前作BW路線から決別しジムリーダーのシナリオ関与がなくなっている。
どころか初代から伝統的に行われていたチャンピオンのシナリオ関与がなくなった結果、ほぼ初対面のチャンピオンと戦うことになる。
この作品ではところどころに初代のオマージュが見られるなど工夫に富んではいたが、シナリオに関しては最も出来が悪かったと言わざるを得ない。
怪しいかと思ったら特に何もなかったプラターヌ、露骨に怪しいフラダリ、謎だ謎だと思っていたら一気に説明されるAZ、電池呼ばわりされるパケ伝、4人もいるのに役割分担が微妙なライバル枠。
壮大さを感じる引きからのあっさりすぎる解決はこれぞ尻切れという感じ。
その後の掘り下げとしてクリア時のAZイベント、ハンサムイベントがあるのだが、そもそもの本編が薄味すぎてなんの感慨もない。

なぜこうなってしまったのか、考えるにジムリーダー1人1人が活躍し敵団体と正面衝突というBW路線は初めから無理であることが分かっていたのだろう。
ここからシリーズで初めてジムリーダー(+四天王チャンピオン)をシナリオに絡めないという挑戦をすることになる。
代わりに用意されたライバル4人と先輩2人は冒険を共にすることで状況説明やガイドをこなし、シナリオへの没入感を高めるが
これによりシナリオ中に敵側の事情を知るものが存在しなくなってしまったために主人公は五里霧中をさまようことになる。
第3世代~第5世代では敵幹部および敵団体からその思想を理解し、それを阻止するというユーザーの目的に結びつけることができるのだが
フレア団員はフラダリの真意を知らず、AZには基本的にセリフがなく、イベルタル・ゼルネアスは特に意思表示をしない。
フレア団の最終局面であるフラダリの決起にもこれまでの主人公の冒険とタイムリミットがリンクしておらず、唐突という感想が先に来る。
関係者だけが関係するというこの極端な構成は骨組みを作って肉をつけないまま完成させた感がある。
この作品で導入が壮大に感じるのは、プラターヌとフラダリの関係であったり、謎の塊であるAZであったりと、序盤での説明の少なさが原因なのだが
ついぞ最後までろくに説明がされないまま終わってしまうために全体の評価は一転して中身がないとされるのである。

ORAS - 理想のリメイク

悪い子じゃないんです。

ここで一旦小休止、追加シナリオで大不評となったこの作品。
まず元のRSの時点で現在のポケモンのシナリオの原型となるもので完成度は高かった。
これに団幹部のキャラ付けをするなど微改変のみで本編シナリオも破綻なくまとめることができている。
最大にして唯一の不満要素はヒガナの存在だと思われるのだが、これは問題の切り分けができていないだけだと思われる。
ヒガナは主人公を含めたこちらの陣営を散々挑発し、挙句肝心な場面では役に立たない。
そこらの悪役よりよっぽどヘイトを買うキャラなのだが、その目的・動機は至極真っ当であると共にその存在はシリーズの整合性を保つためのものであるのだ。
即ち、この設定によってRSEmとORASで同じ舞台、人、出来事を共有していながら微妙に違うシナリオであることを多世界解釈により両立させているのだ。
ORASのシナリオ唯一の破綻と言える「RSとの違い」を丸ごと肯定してしまえる設定は秀逸そのもの。
これに納得できないというのは偏にヒガナ憎けりゃシナリオまで憎いというもので全くの見当違いである。
ヒガナがこのようなキャラクターになったのも"本編で正しい行いをした主人公に疑問を投げかける"ことと、"最終的には主人公に解決させる"ことの必要性を考えれば
むしろそれを1人にまとめたことを評価すべきだろう。
どうかこれを読んだヒガナアンチの方々にはご再考願いたい。

SM - ジムはないって言ったじゃん!

物語の終わりと共に離脱するリーリエ。SMは「リーリエの物語」だった。

さて、3Dポケモンと雑に括ってしまったのだが、実はSMのシナリオは評判がいい。
それもそのはず、前作の反省を元にポケモンジムを廃止したのである。
つまりシナリオの全体を制限するジムを削り、ジムに登場する登場人物を削り、その他シナリオにかかわる人物を削った。
「いやいや、ジム削っても結局キャプテンとかしまキングが同じぐらいいて登場キャラは減ってないじゃん」
そう、前述の通り今作では対戦での特殊仕様Zワザティーチング及び入手イベントが必要となったため、結局登場人物の数はさほど減っていない
しかし、シナリオの本筋とジム攻略が一本化されたことでシナリオ展開には余裕ができ、SMの評価点となるリーリエのストーリーを盛り込むことができた。

これが実は大きな発明で、「ユーザーが主人公でなくてもいい」というアーキタイプはまさに最新作SVでも活用され大きな効果を生んでいる。
確かに、感情のない戦闘マシーンだとかリーリエが可愛いだけだとかいう批判ももっともなのだが、これにも先述の「世界中の老若男女が遊ぶ」という点が関係している。
誰が遊んでも感情移入できるようにするためには、ユーザー=主人公にしてしまうと絶対に上手くいかない。
人の感じ方・考え方はそれぞれ異なり、シナリオの受け取り方も当然異なる。ここでシナリオに没入させることができなければ「やらされ感」が勝ってしまう。
しかし、困難な状況にあるヒロインを用意すると、それを助けようという意思が自ずと生まれる。
レールだけが敷いてあり、方向の指示などはない。ユーザーは誰に命令されるわけでもなく、レールの先を知りたいという原動力で進んでいく。
成長を見守るというコンテンツはそれこそポケモンそのものともリンクするため、ポケモンが好きならわかっていても抜け出せない。
このコンテンツの相似構造での相乗効果は非常に理にかなっており、生物の構造のような美しさすら想起させる。

同じ形でハウでも祖父ハラの偉大さにプレッシャーを感じながら自分のスタンスを見つけ出す葛藤が描かれる。
サブでありながらこの重いテーマを息苦しさを感じさせずに詰め切った手腕はあっぱれの一言。
グズマをただの悪役で終わらせなかった点からもライターのキャラクター愛が伝わる。
主人公でなくともそれぞれの悩みがあり、物語の中で答えを見つけていく。
カメラマンとしての主人公という構造が既に完成していることがわかる。

また、リーリエが単に魅力的なキャラクターであったというだけではなく、発売前から公開されていながら終盤まで残るウツロイドフェローチェのミスリードの仕込みが絶妙で
誰もが気になる「UB=人間」の疑惑がどこで明かされるのか、ひっくり返されるのかという引きはシリーズ全体を通しても最高だったように思う。
作品内での面白さと共に事前の情報公開の重要性がわかる非常に良い例と言える。

秘伝技の廃止も含めこれまでの制約からの脱却という意味では成功したと言ってよいが
裏を返せばポケモンはここでようやく自由なストーリーが構成できるようになったことになる。

USUM - 俺たちの知ってるアローラじゃないって言ったじゃん!

ウルトラハリボテリス。ダンジョンですらなかった。

ここでマイナーチェンジ扱いであるUSUMの項目をあえて立てるのは他でもない。
シナリオが最悪だったからである。
もっと言えばSMで完成されていたものを全て台無しにしたからである。

UBの謎は既に明かされ、ストーリー進行を担うリーリエがクリア後いなくなるというところまで含めて完結していたSMという名作に、
従来のマイナーチェンジの感覚でシナリオを追加してしまった結果、XYと同じ轍を踏んでしまった。
追加シナリオも歴代シリーズのキャラクターを引っ張ってくるというキャラゲー路線に立ち戻ってしまい、ボリュームでごまかしただけの内容はXYと同等の評価しかできない。
「なぜSMは面白かったのか?」の自己分析が不完全で、「リーリエに会いたい」「過去作の要素を出したい」という要請を工夫なくただただ満たしただけになってしまった。
SMのシナリオに穴がなかったかというとそうでもなく、この分析から適切な補完を行えていればタイトルに相応しいウルトラな作品になっていただろうと思うと口惜しい。

もう1つ言えるなら、現在の追加DLC型の追加シナリオであればこの内容でもそこまで悪くならなかったのでは、ともしもの話をしたい。
「ほぼ同じシナリオの2週目」・それを差し置いての「ミニゲームの追加」・「過去作からのゲスト」、これらの問題が「追加だから」で割と許される気がする。
"ウルトラ調査隊はSM本編の時空震を検知して現れ、島の英雄たる主人公に別時空でのウルトラネクロズマ討伐を依頼する――"
という程度なら追加分の容量は変わらずにUMPでの短い物語ぐらい入ったのでは・・・

SwSh - 新たなハード、自由なシナリオ、足りない尺

・・・え?なんで???

ポケモンメインシリーズとしては初の据え置きハード、オープンワールドの試作・シンボルエンカウントの採用、多人数でのレイドバトル、そしてポケモンのリストラと大きな変革の起こった第8世代。
シナリオへはどのような影響があったのだろうか?

まず前作とは反対にジムリーグを前面に押し出した構成。
これはジムを無くしたことの反省というよりは、シナリオとの一本化を図る上で主体として採用したというだけのことで、SMが迷走だったなどという批評は的外れである。
前作とは異なる形でシナリオにかかる圧力を解消し、カウンターとして「ポケモンと言えばジム!」という根強い意見を再度取り込むことに成功している。
主要キャラと上手く分担してダイマックス技のチュートリアルも兼ねながらの実装で非常にスマートにまとめられている。

そしてシリーズで最も大きな転機となるシンボルエンカウントセミオープンワールド「ワイルドエリア」。
序盤からある程度自由に徘徊でき、様々な地形・天候の中でポケモンが暮らす描写はポケパルレから引き続き彼らの実在感を更に高めた。
ここで前述の内容を早速引き合いに出すと、RPGの宿命として"あてどなくさ迷うわけにもいかないからシナリオをつける"必要があるのであった。
あてどなくさ迷っていいのであればシナリオはいらない。
ましてやそれが作品の最大のウリの一つともなればなおさらである。
現にワイルドエリアとシナリオのメイン舞台となるそれぞれの街は切り離されており、シナリオでもワイルドエリアと関わるシーンはほぼない。
持て余しているとも取れなくはないが遊び方の多様性を確保するという点で間違いなく正しい。
オープンワールドの実装にあたって慎重に検討されたことが伺える。

さて、それらを踏まえてメインシナリオの完成度を評価すると、どうしてこうなった・・・と言わずにはいられない。
定番となったサブキャラクターにそれぞれのテーマを分担させる方式、キャラ立ちもしながらさほど干渉しないジムリーダー、初めてのラスボス限定ポケモン
これだけ見れば、というかこれらに関しては高い評価を得ている部分なのだが、やはりメインシナリオが薄すぎた。
ローズの目的・動機への納得感、全てを解決してしまうチャンピオンダンデ、舞台装置どころではないエール団、クリア後には微妙な掘り下げの剣盾兄弟・・・
どうにも持て余したのはワイルドエリアではなくダンデのように思える。
その強さ・完璧さはホップの目標としての存在を兼ね、主人公を導く従来のチャンピオンとしても申し分なく見える。
しかし、こうしてあまりにも神格化された結果、主人公が何もしなくても問題を解決してくれるようになってしまった。
主人公とローズには因縁もなく、プレイヤー視点ですらローズの行動原理がわからないため唐突に訪れるクライマックスに感情がついていかない。
悪の組織ポジションとなるエール団とも分離されてしまっており、それぞれのシナリオ上での重みがなくなってしまっている。
とことん謎のままで終わったローズ、ブラックナイト、ガラルの真の歴史などいくらでも掘り下げることはできたはずなのに、後日談は妙な新キャラがメインのパケ伝捕獲シナリオ。
エネルギー問題を口にするローズとそれらをあっさり解決してしまうポケモン図鑑の説明文というちぐはぐさもシナリオの不完全さに拍車をかける。

その理由について考えられるのは、ユーザーは本当にカメラに過ぎなかった、ということだ。
ホップ・ソニア・ビートというサブシナリオではきちんとそれぞれの葛藤や答えが描かれていた。
主人公はダンデであり、ユーザーはその助手というのであればまぁギリギリ納得できる。面白いかは別として。

「薄明の翼」ではむしろローズの人格者としての面が強調され、なおさら本編の行動が不可解になる。
本編外でキャラの掘り下げを行う点は非常に高く評価できるが、土台となる本編がこれでは忘れた方がマシというものだ。
DLCは本編にほぼ絡まなかったがそれぞれ完結した面白さはあった。
これほどまでに投げっぱなしの本編の補完をさせられるくらいならこのように完全追加シナリオとするのが正解だっただろう。

ここまでの流れで気が付くのが、XYの失敗との相似性だ。
シナリオに関わらないジムリーダー、目的のわからない敵ボス、唐突に訪れるクライマックス。
本筋がシンプルになればなるほどむしろハズせない展開は増えてくるのだが、それを(おそらくは複線で補完するつもりで)飛ばしてしまっている印象を受ける。
元々複数のライターで担当していたものを単純化のために人数削減したにもかかわらず、元の形式で作った結果複線が足りなくなってしまった――
というのは完全に僕の妄想なのだが、そうでもないと単純なシナリオほど破綻するという事象を説明できない。
副主人公たちのシナリオが良かったこと、薄明の翼での掘り下げでキャラ人気が一層増したことで全体の印象は悪くないのだが、
やはりメインシナリオについては不自然だったと言わざるを得ない。

*1:第8世代リストラに関する公式発言より